摂食ライブラリ

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綺麗になりたかった私と、怪物になった私

私は、生まれた時から体がふくよかでした。 その事にコンプレックスを抱いたのは中学生からです。 体がふくよかなことでからかわれ、私は次第に劣等感を抱き始めました。

そんな私がダイエットを始めたのは高校生ごろ。ある夏休みでの「可愛くなりたい。夏休み暇だからダイエットしよう」が始まりでした。

ご飯はサラダのみ、一日中外出をして歩き回ったあとは数時間ダンスをする。 そんな生活を始めると体重は一気にストンと落ちました。

『今まで私は痩せることが出来ないと思っていた、だけど私には変われる力がある、生まれ変われる力がある。』そう思ったのです。

夏休みが終わってからもダイエットを続けました。 ごはんはサラダのみ、炭水化物なんて悪。 低カロリーだけが正義。 そんな思想はいつの間にか、私の中に刺青のように深く彫り込まれていきました。

その異常さに気付いたキッカケは、 友達に誘われた旅行。 その時私は『初めて』自分の異変に気付きました。

私は旅行を1度は承諾したものの、 『食べたくない』それだけが私の思考の全てになっていて、楽しみなんて感情を感じなくなっていました。

その日の夕食はバイキング形式の食事でした。 沢山の食べ物を見た私は 「普通の食事ってなんだっけ」 「皆はどれくらい食べるんだろう」 「量多くない?」 「何を食べればいいの?」 一気にそんな考えしか浮かんでこなくて、人前で食べることに恐怖を覚えていました。 普通が分からなくなっていた事への言い知れぬ不安や恐怖は、今でも覚えています。

同じように食べようとしても 「あいつ痩せたのにまた食べたらデブに逆戻りだなあ」 そんな声が、私の脳内に大きく響いて 結局サラダしかお皿に盛り付けることが出来なくなっていました。

『食べないんじゃない、食べれないんだ。』 私に刻み込まれた思考は、 いつの間にか全身に刻まれていた。 そんな事に気付きもしなかったのです。

私は旅行中も人前で食べることが出来ず、 旅行は太らずに終わりました。 太ることが恐怖だった私は安心しました。

そして家に帰って荷物を整理していた時、 その旅行中に家族や親戚、友達に買ったお土産が目に入って「どうにかしてちょっとだけ食べてみたいな、1個だけ」と思ったのが過食症との始まりでした。

そこから私は8年間、過食症に悩まされてきました。 色々な葛藤や悩み、辛さや苦しさは食事を通して嫌というほど味わいました。 今現在、摂食障害とは8年目の付き合いとなります。

8年目にして、やっと摂食障害と向き合うことができ克服中の身です。 今思えばこの8年、痩せることに拘ったせいで色々なものを自分から手放した気がします。

私の夢も、好きなものも、好きな人も、友達も。 可愛くなりたいと思い、気軽に始めたダイエット。 私はメイクやヘアケア、スキンケア、自分を磨くものは全て大好きでした。

拒食や過食を8年経た私は 好きだったものや事さえ忘れて、 髪はボサボサのまま、肌もガサガサ、21kgも体重が増えた泣きながら食べ続ける怪物になっていました。 それだけ人は脆いし危うい。

今でも
部屋の中に沢山のお菓子やパンの袋、食べ散らかされたお皿の山を見つめながら朝を迎え、何度も泣いたことは鮮明に覚えています。

今だって
この8年を巻き戻したいと何度も思っています。 でも、その後悔を抱えたからこその今がある。 自分の脆さや危うさを摂食を通して知ることが出来ました。 物事を善悪で見る事の危うさ、 自分の力を過信する危うさ、 自尊心がない事に気付いた時の自分の脆さ。 克服を決意したのは 『綺麗になりたいことを諦められなかったから』です。

一瞬の綺麗に縋っては疲れてを繰り返すよりも、楽しく今を生きながらこれから先も綺麗で居続けたい。

現在過食も落ち着いて体重もゆっくりですが落ちてきました。 今は体重だけに拘らず 体のラインやコンプレックスと向き合ったり、髪や肌のケアもストレスを感じることなく楽しく自分磨きが出来ています。

私は色々な色を捨て、黒と白の色しか知りませんでした。0か100の思考、それが私の全てでした。 ただ今は違います。私は私自身でその思考を30にも50にも80にも出来る。 選択権は私にある。過食にあるわけではありません。

私はこれからも、摂食で失ってきたものを1つずつ拾って、混ぜて私の人生の色にしていきたいと思います。

 

この体験談を書いた人
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