底無し沼の恐ろしさ
私と、摂食障害との付き合いが始まってからもうすぐ5年が経とうとしています。この長い闘いの経緯を、発症原因からお話していきたいと思います。
私は、幼少期から体を動かすことが好きな、明るく活発な女の子でした。しかし、小学校に入ってからよく食べるようになり、いわゆるぽっちゃり体形になっていきました。周囲から「デブ」や、「巨人」など心無い一言を言われる場面が増えていき、周りからの評価に敏感だった私は自分に自信が無くなり、「私って醜いんだ」と思うようになりました。
中学では、水泳部に所属していたため自然に体重が落ちていきましたが、依然として自分に対する自己評価は低いままでした。
そして、中学3年の夏に「これから受験期に入るし、今のうちに痩せといて、受験太りしても大丈夫なようにしておこう。」と考えダイエットを始めたのです。
これが全ての始まりでした。部活ではかなりエネルギーを消費するのに、炭水化物をまともに取らなかったため体重はするする落ちていきました。そして、完璧主義者である私は、もっと痩せたいと思うようになり、食事制限はハードになっていき、自分の中でこの食べ物はたべてはいけないなどのマイルールが出来上がったのです。
カロリー計算を厳しくしていたため、頭の中にはどの食材が何キロカロリーという情報がほとんど入っており、歩くカロリー計算ブック状態でした。
食事をするにも毎回考えこんでしまい、家で出されたものが脂質や炭水化物の多いメニューだと、とてもイライラしていたのを覚えています。
母親にもこれしか食べないの?と、心配される局面も増えましたが私は軽くあしらっていました。
そんな生活を半年ほど続けて、体重はついに10kgも落ちました。「そろそろダイエットをやめても大丈夫でしょ。」と思い、ダイエットをやめようとしましたが、やめられませんでした。
炭水化物をとろうとしても太るのではないか、リバウンドしてしまうのではないか、と恐怖に襲われて食べることができませんでした。
そのほかにも、天ぷらや揚げ物、スイーツなどは天敵だと思っていたので、食べることが恐怖でしかなかったです。
しかし、ある日猛烈にお菓子が食べたくなり「一つだけなら…」と食べたら止まらなくなってしまい、家にあるお菓子を漁り、ほとんど食べつくしてしまいました。これが過食の始まりです。
今まで制限していたものの反動が全て降りかかってきたようでした。食べ終わった後は、激しい罪悪感に襲われ、「このままでは太ってしまう、どうしようどうしよう」とずっと食べてしまった後悔が頭のなかを渦巻いていました。その食べた分を調節するために次の日はほとんど食べずに、激しい運動をするようになりました。
過食をしてしまう日は大体週に1回ほどだったのでその時期はやせた体重を維持していました。そんな生活が半年つづいた頃、2日連続で過食をしてしまいパニックに陥った時がありました。
その時頭に浮かんだのが“吐く”という行為です。ネットで過食嘔吐という行為を知っていた私はその日を境に吐くようになりました。これが泥沼の日々の始まりだとは当時は微塵も思いませんでした。
次の日から食べすぎても吐けばいいやと思うようになり、家族にばれないようにこっそり吐く日々が始まりました。回数も時々だったものが週2回、3回と次第に増えていき、ついに毎日吐くようになりました。
吐いたあとには、毎回罪悪感に襲われ、無気力状態、抑うつ状態になります。その状況がかなり苦しく、そのうち自分ひとりで抱え込むことに限界を感じて母に、
「最近食べて吐くようになったんだよね…。」
と泣きながら打ち明けました。私はてっきり責められると思っていたのですが、
「体は平気なの?大丈夫?」
という答えが返ってきてややほっとしたことを今でも覚えています。
そして、病院の受診を提案され通院することになりました。
通院がはじまったのは過食嘔吐が始まってから半年ほどたった,高1の冬頃でした。通院先では主に認知行動療法をメインに治療が行われましたが一向に良くなる気配がありませんでした。
過食にはスイッチがあって、主に2パターンのどちらかでした。
1つ目は、普通の食事をとろうと思い食べている時に自分の許容量をほんの少しでも超えたら、食べ物を詰め込んですべて吐いてしまいたいという衝動がやってきて、結果過食に走るものです。
2つ目は、ストレスがたまった時に、吐く前提で大量の食事を用意して一気に食べてすべて吐く、というものでした。当時安心して食べることができたのは、サラダや鶏胸肉、みそ汁、納豆、ヨーグルトなどの油分や糖分が少ないものばかりでしたが、過食の時は普段食べないような菓子パンやドーナツ、揚げ物など脂っこいものやジャンクなものが欲しくなり、ハイカロリーなものばかり食べていました。
スイッチが入ると他の事は手につかず、まるで悪魔に憑りつかれたようになります。
そしてうまく食べたものを吐ききれないと、太る恐怖に駆られパニックになっていました。
通院中にも症状は悪化していき、次第に学校も休みがちになりました。学校自体は楽しかったのですが、過食と嘔吐を繰り返しているせいで、体力がなくなり朝動くことができないという事態が起こったためです。高校では授業のスピードが早く、部活にも所属していたので毎日一杯一杯でした。
ここで一番症状がひどかった時期の1日のスケジュールを紹介しようと思います。
まず朝起きて、勉強した後過食嘔吐してから学校に向かっていました。授業が終わってからは部活をして、帰宅後過食嘔吐して、勉強して寝るという日々でした。唯一まともに食べていたのはお弁当だけでした。そんな生活を送っていたせいで正直心身ともにかなり疲弊し、なんで私は生きているのだろうと思うようになりました。毎日生きていることがしんどくて辛くて、死にたい、消えてしまいたいと毎日思い詰めていました。過食が悪化するにつれ、家族から
「そんなに食べて、また吐くの?」
と言われることも増え、それにショックを受けてまた過食するという悪循環に陥りました。
過食嘔吐がひどかった頃は、まともに栄養が取れていなかったので、体重はさらに落ちて当初より15kgも減っていました。この頃には身体的にも精神的にも随分影響が出てくるよ
うになっていました。まず身体面では、生理が止まり、肌は黄色っぽくなり乾燥気味に、手はまるでおばあちゃんのようにしわだらけになり、高校生とは思えない手をしていました。
抜け毛もひどかったです。精神面では、常にいらいらしていて、家族からのささいな一言に傷つき部屋にこもってばかりでした。まるで人格がかわったようだったそうです。また、体重計に毎日かかさず乗り、前日より数百gでも増えていたら、パニックになって泣いていました。逆に体重が落ちていたらその1日はすごく機嫌がいいのです。朝の体重測定はその日1日の良し悪しを決める、私にとって儀式のようなものでした。
また人と会うことが急に怖くなったり、人前でご飯を食べることが苦痛になったりしたので、友達と遊ぶことを断ることが増えていきました。思い返してみれば、過食嘔吐による弊害は本当に大きいものであったと思います。そんな私の心のよりどころは食べる行為しかなく、過食嘔吐しない日はありませんでした。
通院を1年ほど続けた頃、私に転機が訪れます。私はその1年の間に2回入院したのですが効果はなく、家に帰ればまた過食嘔吐を繰り返す日々が続いていました。そんな私を見かねた母が、
「病院変えたら?今の病院1年も通っているのに一向に良くなる気配ないし。」
と私に言ってきました。
私は、通院してもよくならないから一生このまま生きていくのだろうと諦めていたのですが、少しでも治る可能性があるなら賭けてみようと思い、藁にも縋る思いで病院を探し始めました。
そこで辿りついたのが今でもお世話になっているメンタルクリニックです。その病院には、診療医の他に常駐しているカウンセラーさんがいて、診察と90分程度のカウンセリングを毎回行うスタイルで治療を続けていきました。
その病院でカウンセリングを受けていくうちにだんだんと過食の頻度が減っていき、それまで2年ほど過食嘔吐しなかった日は1日もなかったのに、ついに過食も嘔吐もなく1日を過ごせる日がやってきたのです。
うれしくて、うれしくて泣きそうでした。普通にご飯が食べられることの幸せを噛みしめていました。
快方に次第に向かいつつあったことは自分でもわかったのですが、摂食障害はそんな一筋縄で寛解するような病気ではありません。少し良くなってはまた悪化して…とまさに一進一退で、ちょっとずつ、ゆっくりと痩せや食事に対するこだわりが薄れていきました。
今では体重の増減はあまり気にならなくなり、体重計にはほぼ乗っていません。
食事に対するこだわりも薄れてきて、私がずっと憧れていた“適当な食事”(お腹すいたからこれ食べよう、ジャンクなもの食べたい気分だから食べよう、今日のお昼は適当にパン焼いて済ませようといった感じ)ができるようになり本当に嬉しかったです。
今までは、たとえばパスタ食べたい気分だなと思っても、太る恐怖に襲われとても食べることができませんでした。
体もこころも満たされる食事ができる機会が増えてからは、常にイライラすることが無くなっていき、体重も1年以上かけてゆっくり戻って、3年止まっていた生理も再開しました。笑って過ごせる日々が増えていきました。
本当に、本当に嬉しかった。暫く止まっていた私の人生の歯車が、やっと動き始めたようでした。
この回復にはカウンセリングの効果の他に2つのきっかけが相まってもたらされたのだと思っています。1つ目は、大学に入学してからお付き合いする人ができたことです。
こんな私でも好きだと言ってくれる人がいるんだ、ありままの私でもいいのかな、と思えたことは大きいと思います。2つ目は、ジムに通うようになったことです。
元々運動は好きだったので、筋トレをしたり走ったりすることで気持ちがリフレッシュ出来て、過食をしたいという気分にあまりならないのです。
また、ちゃんと筋肉をつけたいから適切な栄養とらなきゃなぁと食事に対する意識もそれとなく変わっていきました。
しかし今過食嘔吐が全く無いか、と聞かれれば、Yesとは言えません。大きなストレスを感じたり、自分でタスクを抱えこみ過ぎたりすると過食に走ってしまいます。
この衝動は、自分で止められるものではないので、食べても“まあいっか”、と思って考えすぎないようにしています。食べることは気軽に出来ることだし、飽食の時代なのでコンビニ、スーパーに行けば食べ物はいくらでも手に入ります。摂食障害を抱えている人ではなくとも暴食することはあるもので、「ストレス食い」という言葉が存在するように、ストレス発散として食に走りやすいのは現代の特徴でもあるのかなと考えています。
重要なのは、過食の有無に関わらず、学校に行って、アルバイトも出来て…と、ごく普通の日常生活を送ることができるようになった事実です。
過食があってもなくても食事に囚われすぎずに、日々自分の生活を営むことができれば摂食障害からの回復としての1つのゴールなのではないかと私は思います。
ここで、この記事を読んでくださっている方にメッセージを送りたいと思います。
まず、摂食障害と戦っている方へ。
過食や嘔吐をすることは、全く悪いことではありません。これは、私がカウンセリングで学んだことですが人間のする行為には“肯定的意図”というものがあって、すべてプラスの意味があることを指します。過食をすることで何とかこころのバランスを保っているのです。それがないと、心が壊れてしまうから、だから何とか過食という手段でいのちを繋ぎとめているのです。
だから無理に過食を止める必要はありません。治したい気持ちと過食に走ってしまうことの葛藤があって辛いかもしれませんが、治そうという気持ちがあれば必ず快方に向かうと確信しています。毎日つらく、苦しく、先の見えない日々に不安や恐怖があるかと思いますが、生きているだけで100点満点です。本当に偉いです。
私は厳密には拒食症を体験していないので、拒食症に悩む方の気持ちを完全には理解することはできませんが、食べようとしても怖くて食べられないからと言って自分を責める必要は全くないと思います。どうか少しでも摂食障害を抱える皆様の気持ちが軽くなることを祈っています。
続いて、摂食障害の患者さんのご家族、ご友人、パートナーなど周囲の方々へ。
摂食障害は、一見なぜご飯を食べられないのか、又は大量に食べたり、それを吐いたりなどもったいないことをしているのか、などと思うかもしれません。
しかし、当事者は食事に関することで非常に悩み、なぜ自分はこんなにだらしない人間なんだろう、“普通”の食事ができないのだろうと自分を責めてもがき苦しんでいます。患者さんが悪いのではありません。病気が悪いのです。
摂食障害は治療にあたって、親しい人のサポートがあるか無いかでかなり違うと思います。現に、私も家族に理解を得られるようになってから随分不安や焦りが無くなりました。
摂食障害は家族も巻き込んだ問題を起こしやすい(家の食糧を食べ尽くす、家族関係の悪化、引きこもりなど)ので、ご家族も心に余裕がなくなっているかもしれませんが、どうか温かい目で見守っていただければと思います。
そういった姿勢は摂食障害患者にとって何よりの救いになります。これはあくまでも私の意見ですが、食事に関してフォーカスするのではなく、
「体調は大丈夫?」
「何か困っていることあったら気軽に相談してね。」
など体調を気遣うような声かけがあると患者さんはきっと気が楽になるのではないかと思います。人によって症状は千差万別なので、一概にどういった対応が正解であるという答えはありません。
しかし、周りの人が本人を思いやっていることが伝わればなんだって嬉しいと思います。ご家族や周りの皆様も接し方に困ることが多いかもしれませんが、少しでも参考になれば幸いです。
長くなりましたが、最後にこの場をお借りして感謝の意を述べたいと思います。家族、友人、先生、カウンセラーさん、学校の先生方、ほかにもたくさんの方に支えられてここまで回復することができました。感謝してもしきれません。本当に、本当にありがとうございました。
症状がまた再発するかもしれない恐怖もありますが、今までもがき苦しんだ分これから自分らしい人生を歩めるように日々邁進し、今度は私が周囲の人を支えられるようになりたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでも皆様のこころが軽くなりますように…。
この体験談を書いた人
Twitter → @kuriimupan_pan