過食嘔吐の克服は吐かなくなる事じゃない
私が初めて指を突っ込んで吐いたのは中学3年の冬でした。
私はよくストレスが溜まると胃腸炎になり気持ち悪くて1週間ほどご飯が食べれなくなります。その時は病院に行き点滴をしてもらっていました。
中学の時はバレーボールもしながら筋肉もしっかりある普通体型でよく食べるほうでしたが、炭水化物には気をつけて体型を維持していました。
中3の夏にバレーを引退してダイエットをして5キロほど落としてからは炭水化物をあまり取らずに維持していましたが、どうしても沢山食べないといけなくて食べた後に軽い気持ちで吐いてみたのが最初です。
そこからは高校はバレー特待で県の強豪校に進みましたが、1年の冬に膝を大怪我し手術リハビリの日々になりました。リハビリでは体重制限や筋肉量の制限もあり、引き締めなければならない状況でした。
しかし、部活で出されるご飯や合宿のご飯は絶対に選手皆同じ量を大量に食べさせられることからその時だけ吐くようになりました。
また復帰してからも大量に食べた後に激しい運動をしなければならず、痩せる為ではなく動く為に吐いていました。
私が本格的に摂食障害になったのは高3の春です。みんながバレーで大学進学し冬まで部活をする中、私はどうしても行きたい大学があり、バレーをせず自分の力で勉強して入試を受ける選択をしました。その時監督と意見の相違から揉めてしまい、ストレスでご飯を食べれなくなりました。
食べたくないし、自分がこんなに悩んでいるというの言えなくて、食を通して目で見えるようにしか表現できませんでした。
母は最初は心配していましたが全く食べない私をみて次第にイライラするようになりました。
2週間ほど経ち、食べたくないけど食べないと母の機嫌が悪くなると思い少しだけ食べると胃が全く受け付けず自然と吐いてしまいました。その時に吐けば全て無かったことになる。という感覚を思い出し、指で吐くようになりました。
しかし毎日やっていると指では吐けなくなりチューブを使うようになりました。
そこからどんどん痩せ生理も止まり3ヶ月で20キロほど落ちました。
バレーもできる状態ではなく毎日学校に行って入試の勉強をするのが精一杯の中、志望校に受かり一人暮らしが決定しました。
卒業するまでの間の高校生活はなんとか送れましたが、体育館に行くのが怖く試合の応援の時はいつも熱が出てふらふらの状態で行っていました。
大学で一人暮らしになってからは自分の好きな勉強をして楽しく学校に通い体重も5キロ増えましたが、過食嘔吐は止まらず普通の人のフリをしながらどうにか生きています。
しかしストレスから解放されたことで精神的にはかなり楽にはなりました。 現在の心境としては過食嘔吐とは上手く付き合って行きたいです。
なぜなら過食嘔吐に頼ることで今自分は毎日生きていけてるし、辞めることがストレスになるからです。
過食嘔吐という行為をする根底には、私の場合は思ったことが言えない、溜め込みすぎて上手く発散できない、完璧を求める、自己肯定感が低い、といった幼い頃から蓄積されてきたものが関与していると考えます。
私は母子家庭で長女だったので、母の顔色を伺い他人に気を使い良い子でいなければならないと思っていました。
また、自分は邪魔な存在だとも思っていました。つまり過食嘔吐の克服=吐かない、ではなく根本的な原因を見つけて少しづつ自分に自信がつき、ありのままの自分を愛すことができるようになれば自ずと結果はついてくるものだということです。
これからは自分の心に耳を傾けて少しづつ自分を好きになっていきたいです。
Twitter → @meatandsweets