摂食ライブラリ

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摂食障害と生きづらさは隣りあわせ

私は物心ついたときからぽっちゃりしていた。

小学校の時には「ぶーちゃん」とあだ名をつけられ、からかわれた。

痩せていて人気者の友達がいつも羨ましかった。

 

中学になり、食事を減らせば痩せるということを学んだ。

それから私はカロリー計算の鬼になった。

1日1,000kcal未満で暮らすことを目標とし、夜はたいてい春雨スープだけ。

痩せていくのは嬉しかったけど、自己肯定感は上がらないまま。

父が亡くなったこと、部活と学業の両立が重なり、心も体もしぼんでいった。

栄養が足りないせいか、イライラして周りに八つ当たりすることも増えた。

 

中学校3年の秋。

文化祭で演劇の発表を終えてひと段落したその晩に、糸が切れたようにドカ食いを始めた。

「太る」という焦りから、その場でトイレに駆け込み吐いた。

これが私の摂食障害の始まり。

 

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コンプレックスを克服するために始めたダイエットで摂食障害になり、摂食障害であるがゆえに自分を責めることが増えた。

・食べることが辞められない
・太っていく自分が憎い
・食べ物を無駄にして申し訳ない
・普通の人ならやらないことをやってしまう
・私がこんなことをしている間に、周りの人はどんどん先に行ってしまう

など。

なんとも皮肉な話だ。

 

うつを併発していたころは、これに「死にたい」が加わり、もう地獄だった。

カウンセリングでも、病院でも、家でも、分かってもらえない気がした。

自分のことが自分でコントロールできないことに、絶望を感じた。

 

摂食障害ではない周りのすべての人間が、自分よりも優れた人間に見えるのだ。

誰かと仲良くなっても、「本当の私を知ったら離れていくんだろうな」と思う。

当然、恋愛にも自信が持てない。

 

「自分は他人と違う」「私のことは誰にも理解されない」という悲しさが、常に心の底にあった。

 

===

 

初めてトイレで吐いたあの日から、もう15年経つが、私は今も摂食障害だ。

この病気を「克服」しようともがいているうちに、心の在り方について沢山学んだ。

 

引き金はダイエットだったかもしれないけれども、窮屈な考え方や物の見方が、摂食障害の根本原因だとも分かった。

このままじゃ生きづらすぎて死んじゃうから、私を守るために、摂食障害という症状が生まれたのだと思う。

だから、摂食障害は敵じゃない。

「克服」するよりも、いつか「卒業」したいなと感じている。

 

過食は毎日だし、ずいぶんと太っているけれども

毎日死にたくて、リスカとODを繰り返していた日々から比べたら、まだ生きている心地がする。

生きづらい考え方をある程度手放せたとき、この病気から卒業できる日が来るかもしれない。

「摂食障害だから私はダメ。死にたい」じゃなくて

「摂食障害だけど、だいぶ生きやすくなったよ」と言える自分に、少し安心している。

この体験談を書いた人
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