摂食ライブラリ

摂食障害当事者のみんなで作るWebサイト

生かすも殺すもアメリカ次第

Hey my universal friends, what’ s up??  宇宙のみんなさん初めましてーー!!  みおえなじーと申します♥

あああああまってまってまって!!Waaaaait!!!  ブラウザバックしないでおくれ!!ステイステイステイ!!!大丈夫お嬢ちゃんお坊ちゃん。怪しいもんじゃないよ、、、へへへ

今ここを読んでいるYou、「うわなんかやべーやつ来た、、」と思っていますね!?? YESご名答。名推理。真実はいつも一つ。

いやなんかさ、摂食の体験記ってどうしても暗くなってまうやん? 色んな人のん読んで、Youの気が滅入るかもしれんけ、

せめてテンションだけでもhappyにしちゃお★という魂胆(笑)

まぁ人生長いんだし、ちーとばかし付き合っておくんなまし(*´▽`*)

 

~序章 みおえなじー解剖学~

んじゃ、さっそく自己紹介Leeeeeet’s goooooo!!!

名前:みおえなじー (長いからみおえなとか好きに読んでな~)
年齢:自称3歳(地球では20代ってことらしいワ)
すき❤️:アメリカ!!!!!、ダンス(特にJazz Funk)、海外旅行(アメリカ、カナダ、フランス、スウェーデン、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、グアム、韓国には行けた!次はイギリスかボリビア行きたい泣)、国際交流、納豆ごはん(ふたりは宇宙一のアベック間違いないね)
趣味:語学(英・仏・中・韓・独を勉強中)、おえかき、海外ドラマ鑑賞 特技:ダンス(と言えるようになりたい)、 語彙力(がヤバいらしい)

性格:うーんHonestly自分でも良く分かってないKEDO

「子供」「頑固」「勢い!!!!!」

みたいな?(アカン字面だけ見たらめっちゃ問題児やん笑) そうねぇ、例えるなら、食べ終わりかけの、ファミレスの抹茶パフェみたいな性格かなぁ、、、、、、え?全然分からんって???うんうん、わかるよ。私もみんなと同じ気持ち。オナキモ。

てか、みんないる!???笑

この時点で誰もいなかったらどうしよ。つらすぎ回転寿司、、

まぁどうしようもないけど(笑)

はい次いこー!!!!

長所:褒められたら鬼頑張るところ 短所:褒められないと伸びないところ
チャームポイント:おでこの絆創膏(ヘアアイロンで火傷した、つら寿司) 、アシタカの右腕(お風呂で気絶して死にかけた時になんか皮膚吹っ飛んでた。泣ける。)
身長:162.5cm
体重(2020年5月現在):39.6kg
MIN:39.4kg(昨年9月ごろ、拒食症診断される直前)
MAX:61kg(約一年前)

写真見せたほうが変化分かるかな?はい、ドーン!!

いやー、、同一人物じゃけんね、コレ、、、(笑)

世界仰天ニュースでよくみるやつね。パネルのやつね。(わかる人にはわかるよね)

おしっ、そろそろself introduce終わるよみんなー。起きてー。笑

恩師/命の恩人(勝手に):都甲幸治先生(詳しく知りたいBabeは私のnoteへGO~!!最後

にURL載せとくね~) 座右の銘:みんなが世界で宇宙一 (流行語大賞とりたい)

はいっ!!なんかマッチングアプリのProfileみたいになってない?大丈夫??

まぁこれで、私について2ミクロン位は伝わったと思うので、

早速、体験記にまいりまーーーす! !!

文章も内容も色々とぶっとんでるから

シートベルトをしっかりお締めなさって~

 

~第一章 アメリカをいただきます~

今から、みんなにおもしろい話教えてあげようか?

実は、    ①私が拒食症になった原因  と  ②私が拒食症を治したい理由

は、同じ。

です。

……え?? っていうね。なぞなぞですか?ってね。

はい早速①と②の答えを発表しまーーす!

じゃかじゃん!

「アメリカでダンスしたいから」

です。みんな当たった???

まぁ、

“What’s!!!?????” “Quoi??!!” “뭐야?”

ってなるよね。

まぁまぁ急くでない。

解読するには、わたくしの生い立ちを振り得る必要がありますので  頑張って簡潔に(この時点で無理な予感しかせん)説明していきませう!

みおえなドキュメンタリー、VTR・スタートーーー!!!!!!!

 

~第二章 目指せ!日本一!!!~

時は遡り小学生。

ある日、私はお友達に誘われてダンスレッスンの体験に行った。

当時の動機は覚えてないけど(多分レッスン楽しかったんだと思う)

お友達と同じダンススタジオに入ることにした。

レッスンも楽しかったんやけど、なにより 初めての発表会がね、超!!!楽しかったの!!!!!

だってさ~~あ??

ファンデーション、口紅、マスカラ、きらきらのアイシャドウ、、

はじめて「ちゃんとした」お化粧をして、衣装を着て、  髪の毛も可愛くセットしてもらってさ、、

もうね、絵に描いたようにはしゃいだよね。

楽屋でみんなと写真とり合いっこしたり、鏡でポーズとったりとか(笑)

本番になると、 今まで立ったことのない大きいステージで、スポットライトを浴びながら 沢山の人の前で、自由に身体をはっちゃけさせて、、

こんなん、ときめきの煮凝りって話じゃない!!?? ときめかずにいられようか?いや、ない!!!(反語)

しかもねしかもねみんな聞いて、踊り終わった後は 周りのみんなに「上手だね」「良かったよ」って褒めて貰えたんよ、、。

それまでの人生で一番チヤホヤヤされた瞬間じゃった。

すごく、すごく嬉しかった。何より楽しかった。

そして、幼きみおえなは

「もっとダンスがうまくなりたい!大きい舞台で踊りたい!!!」

と思ったのです。Oui, 順当。

そして、「全国大会での優勝(日本一)」を目指す  ダンスチームのメンバーに応募して、、、、合格!!

したのはいいんやけども、、。

今までの一般クラスとは全然違ってて。

振りも曲も早くて難しくて全然おいつけないし、

レッスンは緊張感でピリ辛こんにゃくやし

一般クラスと違って、先生の目つきの鋭さ104820レベルって感じやし。

そっっっりゃもう~~~~忙しくて。学校以外はほぼダンスに時間を当ててた。

というか当てないとついていけなかった。

それぐらい、「日本一」をめざすのは大変なことだった。

中学に入ると、もっとレッスンは厳しくなった。もち部活は禁止。  学校帰ったら即レッスン着に着替えて、深夜まで練習、、  なんてことも多々ありましたなぁ。

運動会とか学校行事と被った時は、睡眠時間3時間とかZARAで、、、

(実は)生徒会にも入ってたから両立バリしんどかった。 いやぁ、なんか、当時は自分全然出来てないって思ってたけど、

私めっちゃ頑張ってるくない?みんなそう思わん??飴ちゃんちょうだい???

 

あー、そうそう!

踊るポジションを決める時、チーム内でオーディションをするんやけど、

(順位が高ければ高いほど、目立つポジションを貰える。アイドルモノのアニメとかであるよね。)

私はそれが本当にストレスで、、なぜならば私は基本、順位が低く

私より年下やったり、後からダンスを始めたメンバーに順位を抜かされて、、

メンバーや親が見てる前で、先生に「みお、一人だけできてない」「みお足ひっぱってる」って怒られて、、。

もちろん!!!日本一を目指すチームやもん。

厳しくて当たり前やし、実際私はチーム内で下手くそやった。

分かってた。分かってる。でもさ、、

つらいもんは、つらくない!!????笑

まだ自我もおぼろげな癖に自意識だけがsensitive(?)だった我にとって、人前で自分を否定されるのが、本当につらかった。

「ああ、私ダメな子なんだ。」「もっと頑張らなきゃ。」「また、怒られた、、、」

当時は気づいていなかったけど、私の自己肯定感は鰹節の如く削られていった。のだと思う。。

周りに相談できる人もいなかったし(チームメンバーといえど、ポジションを取り合うライバルでもあるわけで、、)

弱音を吐くと、よけい怒られたから「辛さを吐き出す事」が悪い事だと、考えるようになったんやろなぁ、、

コンテスト前になると、メンバーも、先生も親もピリピリしてて、自由を拘束されて、お友達とは遊べんし旅行もロクに行けなかった、、

気付かぬうちに心は干からび、黒ずんだトゲがにょきにょき生えだした。

みんなに褒めてもらえたからダンスを好きになったのに、、

褒められるより、怒られる回数のほうが、圧倒的に多くなった。

とうとう、ダンスが楽しめなくなった。

「怒られない為にダンスをする」というmindだった。もう罰じゃん、、

それでも、「やめたい」とは言えなかった。

チームは1年ごとに構成されるため、その期間内に抜ける事は原則禁止だった。(一人抜けるだけでも、振り付けや場所が変わり他のメンバーに迷惑がかかる)

完全にダンスを「やらされてる」感覚になり、発表会の時のときめきの煮凝りは、腐っていた。

練習しても順位は上がらない。レッスンに行けば怒られる。

行かなかったらもっと怒られる、、

その時、人間関係や学業の色んなメンタルproblemも重なって、我が精神と肉体は悲鳴を上げていた。

一人で抱え込んだせいで、心のトゲは急増し

私ははちゃめちゃに捻くれて、宇宙に希望を見出さなくなった。

(恥ずかしい、、、でもあるよね、そういう時期)

「先生に怒られるのが怖い」という理由でなかなか言えなかったが、高校の途中ぐらいで、やttっとこさ、スタジオを辞めると言えた。

一時期、ダンス関連のものを見ると気分が沈んでしまうんで、しばらくダンスから距離をとってた。

(続けてればよかったって鬼の如く後悔してるkedo…)

 

~第二章 愛のアはアメリカのア~

そして私は大学生に。

一年目はサークル選びに見事に失敗OMG。

浪人したことに対するコンプレックス、容姿重視の残虐な価値観に苦しみ「思ってたんとちゃう!!!」と、私は大学生活というものに絶望していた。

私の心は、チェッカーズもびっくりのギザギザ具合だった。

 

 

アメリカと、都甲先生に出会うまでは。

一年の秋に、10か月間のアメリカ留学に行った。私の心のトゲを丸くしてくれた、鬼BIGなExperienceのはじまり。

アメリカでの日々は、1に衝撃2に衝撃、100までぜーんぶ大衝撃!って感じやった。

世界中からやって来た人達と話したり、アメリカの文化に触れて、図書館でキスをしあうレズアベック、寝室の窓に盛れてくるクラブパーティーの音

広大な自然、幅ありすぎの道路、ダウニーの匂い、小汚いトイレ、ルームシェア、、

 

日本にいた頃の「当たり前」はアメリカには無かった。

私にとって、初めてのガッツリとした「異国」体験だった。

私は部外者で、でもそれがどこか心地よかった。

もうね、毎日がポッピングシャワー食べた時の口の中みたいで、、、make sense?

 

そして!!!アメリカで特に忘れられないのは、暖かな家族体験だった。

ステイ先の家族や、友達のお家で色んなイベントを過ごした。

ハロウィン、サンクスギビング、クリスマス、イースター、、

美味しいご飯をみんなで食べながら、何気ない話をする時間がとっても好きだった。

それは、私の初めての「愛の体験」と言い換えてもいいかも。

いやもうほんと、この時楽しかったなぁ、、

ちょうどバレンタインで、このワンちゃんのぬいぐるみとお手紙貰ったんよ泣

暖かくて、おいしくて、いい匂いで、笑顔があって、、、

死ぬ前の、人生最高の夢を見ているような(笑)気分だった。

今でも、海外ドラマでThanksgivingのシーンとか出てくると、思い出して感傷的になって、とても恋しくなる(泣)

 

あと印象に残ってるのは、  、、そやなぁ

毎年ある大学内のイベントで、友達とステージで久々にダンスを踊ったんやけど、本番が終わって、一人でカフェにいるとめっちゃ背の高い上級生の黒人さんが凄い勢いで私のところに来て

「(え、私怒られるんか、、!?)」 と身構えていたら

「Hey!!君のステージ、観てたよ!!!!君のダンスはAmazingだ!!!感動したよ!!!!」

と、興奮気味にめちゃくちゃ褒められた。

なんでかわからないけど、この瞬間のことはすごく覚えてて、、

座っていた席、黒人さんの目の色、カフェの照明の暗さ、匂いも、鮮明に思い出せる。

小学生の時、初めての発表会で皆に褒められた時と同じときめきを感じた。

Oh、伏線回収!

正直帰り道スキップするくらい嬉しかった。

いやいやだってさ~~あ~みんな考えてみてぇな!? 見ず知らずの人が、わざわざ声かけてくれて饒舌に褒めてくれることなんて、、

ある!?!???? ホワイジャパニーズピーポー!??

でも、アメリカでは鬼ゴリ日常だったのだ。

学内のカフェで注文しようとしたら、店員さんに「あなたのピアスとっても素敵!好きよ。」って言われたり

NY旅行中、服屋の店員に「その服どこで買ったの!?超イカしてる!写真とらせて!」って言われたり、、、

日本とは対照的に、私の表現したい私を「好き」だと言ってくれる人が沢山いた。

日本にいた時、私のファッションや行動は「変」「しょーもない」「おかしい」「子供っぽい」とか、言われることが多かった。

もちろん、文化の違いや、Teenager特有のComplexな時期だったから  というのもあるんだろうけど、、

そうそう、大学の卒業式でも一人だけドピンクの髪の毛でツインテールで出た時、めちゃくちゃ視線が痛かったなぁ、、(笑)

↑まぁこれは目を引くよね(笑)卒業式のカメラ、私のいるエリアを頑なに映そうとしなかったの忘れねーかんな!!???

まぁ都甲先生がめっちゃ笑ってくれたのでall okay(マジ敬慕)

アメリカに行って、 沢山の人が「私」を受け入れ、褒めてくれたかげで自己肯定感はジェット機のように爆上がりした。(単純)

アメリカにいた時は、周りを気にせず「ありのまま」でいることができた。

好きなことを、好きなようにできる環境がそこにはあった。

「ああ、ここにずっといたい、、、」何度も思った。

 

~第三章 帰国後に待ち受けていたもの~

そこまではよかった。でも、10カ月経って日本に帰ると「私」を突き放す視線が待っていた。

Americanizedされた私は、空港の帰りの電車で深紅の他人に「WAO!そのTシャツどこで買ったんですか!?」

と聞いた。

(留学先の州が書いてあって興奮してしまったの。どうどう。)

何も考えずアメリカの日常をもちこんでしまい「え、、、あ、いや、覚えてないっす、、」と、お手本のようなドン引きとicyな視線をもらった。

そして私は 気づいた。

「あ、そっか。もう私はアメリカにおらんねや、、」

「私のおかしさを好きな人は、ここにはいないのか、、」

車内には沢山人がいて、ざわめきもすぐそこにあるのに、

私は、とてつもない孤独感と居心地の悪さに襲われた。

物語中盤までのスイミーの如く。

真っ赤なお魚さんたちが黒ずんだ私に「お前の居るべき場所はここじゃない」と言っている

そんな感覚になった。

バチゴリの日本文化にダイレクトアタックし

アメリカとのGapが浮き彫りになったせいでアメリカで取り戻したはずの自己肯定感は、また海の底に沈んだ。

「なんで私は日本にいるんだろう」

「アメリカに、帰りたい、、、」

その時、就活も迫っていて、日本でやりたい仕事なんて無かった私は、不安と逃げたい気持ちをどう処理していいかわからず

「日本(待ち受ける辛い現実)から抜け出さなきゃ」と思っていた(んだと思う)

いつしか強迫的なレベルに到達してしまい、日本語が聞こえるだけでめっちゃイライラしていた。(やべぇ)

「お前は日本人なんだ。ここからは絶対に出られない」

と、赤いお魚が私を嘲笑っているような気がした。

「私の居場所は、ここじゃない。」

私は、最速でアメリカに帰る方法を必死で探した。

でも、簡単にはいかなかった。

アメリカで就活したけど、VISAもスキルも学歴もない私を、雇ってくれるところなんてなかった。

でも私は、これ以上日本にいるのが無理だった。  海外の残り香が消えて、自分を見失うのが怖かった。

どうしてもアメリカに永住したかった。  私が「私らしくいられるセカイ」に、骨を埋めてゾンビになってウォーキング・デッドに出たかった。

でも、アメリカで外国人が職を得るのは、かなり厳しいのだと思い知らされた。  アメリカ移住の最短rootは見つからないまま、日本での就活がすぐそこまで迫っていた。

私ははちゃめちゃ最大級に焦ってしまい、アカンもう時間が無い。アメリカやなくても、とにかく海外にすぐ出な!!!と思った。

鍾乳洞並みにスカスカの頭をフル回転させた結果、私は アメリカにすぐ行けるよう、「とりあえず、お金は絶対に要る。お金貯めな」と考えた。

そしてバイトの掛け持ち and 節約を始めた。

その時FUKUYOKAだったので(58kgくらい?)ダイエットも兼ねて糖質制限+食事制限を始めた。

食事にお金を使わなくなって、するする体重は落ち、お金は増えた。

そのうち「節約すればするほど、痩せるし、アメリカにも近づく、、一石二鳥やん!!!私天才!!??」とか思っていた。

食事制限はどんどんエスカレートした。

半年で、体重は43kgまで落ちた。すると、身体に異変が起きはじめた。

坂道がのぼれなくなったり 、常に呼吸が苦しくて、ものの覚えがめちゃんこ悪くなった。

一人だけ、南極捜索隊みたいな恰好で授業に出ていた(体温調節機能がバグリ、常に寒い)

都甲先生にも「一人めちゃくちゃ寒そうな人がいるんですが、、」と突っ込まれた(笑)

でも、

「しんどい=食事制限成功」

「食事制限成功=節約順調=アメリカに近づく」

「ってことだから、しんどければしんどいほど、アメリカに近づいてる!!!!」

「走るたびになんか心臓めちゃ五月蠅いし昨日の記憶ほとんどないけど、い、いける、、、頑張るんだ。もっと頑張って、自分を追い込んで、アメリカに押し出すんや、、」

、、、、、、、いや、全然いけないって(笑)

今だから言えるけどさ、、、me、ゆっくりと自殺してまっせ。

この時すでに半年ロクに糖分を採っていなかったので、私の脳味噌の鍾乳洞は腐り、まともな思考なんぞできるわけもなく

ケプラーもびっくりのトンデモ理論を構築したのであった。

私は、「確実に移住できる方法」を探そうと海外移住した日本人をネットで調べ、ブログやSNS等を読み漁った。

大学内に「カナダの永住権をとった教授がいる」と聞きつけ 全然知らん教授にアポもとらず授業前に突撃したり(常識のあるみんなは取ろうね)

オーストラリアに移住した人にSNS上で話を聞いたり(電話で答えてくれる人もいた)、

四角大輔さん(歌手のプロデューサーを辞め、ニュージーランドの永住権をとった人。)のイベントに参加して、どうすれば移住できるかめっちゃ聞いた。(サインももらった)

そして3年生の冬休み、 移住の下見のためカナダやオーストラリアに行った。一人で。(笑)

まさに現地調査。豊田佐吉もびっくりの現地現物。

SNSで知り合った、カナダ移住した日本人に会いに行って直接話を聞いたりした。 その人に、他に永住権を目指してる日本人や 実際に取った日本人を紹介してもらって、一人で会いに行った。

これはニュージーランドのビーチでの写真。

拒食症真っ最中に行ったから顔色が死んどる(*_*;

良く生きて帰ってこれたなぁ、自分、、

でも、なぜか海外おる時は拒食脳ちゃんはあんまり出てこないんよな、、

きっと、それ以上に「やりたいこと」があるし「周りの目」を気にせずに済むからなんやろなぁ、、、ふむふむ、、

あ、ごめんmy universeにtripしてたわ。話もどすね。

カナダのモントリオールでカフェに入った時、 「におうな、、、」と思って 隣の席にいた日本人に話しかけたら、永住権を目指している人たちだった。 職業訓練校の話など、いろいろ教えてもらった。

移住成功した人達の話を聞いていると 永住権とるのはめちゃくちゃお金も時間もかかるし 法律もコロコロ変わるんで、 「去年までなら永住権申請できたのに、今年の改訂で無理になった!」みたいな理由で、泣く泣く日本に帰っていく人だって沢山いると知った。

当然のことやけど、移住って  めちゃくちゃ険しい道のりなんだと知った。

脳に糖分も無く、栄養も足りず、私の思考は完全にイカれていて、ほーーんとに視野が狭くなって、一ミリ平方センチメートルぐらい?

海外に行くこと=正解  それ以外=不正解

みたいな、ピタゴラスもびっくりのトンデモ理論に従って動いた。 というかその時はこれしか心の拠り所?がなかったのかもなー。

当時は切羽詰まっていて、必死やったんやろうな。

現地の人の話を聞いたり、ネットで調べてみた結果

「結婚」

「現地で理系の職業訓練校を出て就活」

「日本で理系の仕事に就く→海外で就職」

この3つの条件だと、永住権を取りやすいことが分かった。

「結婚は無理やし、職業訓練校に入るお金なんて無い、、 じゃ 日本で理系の仕事に就く→海外で就職 のルートしかないか、、。私消費税の計算もできんくらい数学大嫌いやけど、、、アメリカに行くためには我慢せな、、うん。もう残された道はこれしかねえ!!! 」

日本を脱出するための、大嫌いだった日本での大嫌いな理系就活を始めた。

すべては、アメリカのために。

当時は、これしか正しくないと自分に言い聞かせていた。

 

~第四章 魂の灯が消える瞬間(とき)~

……..漢字に違う読み仮名あてるやつ↑やってみたかった(小声)

なんか、かっこよくない???(笑)

(Sorry みんな話戻すね)

就活を終え、 文系学部出身でも、理系就職できる会社を受けて今の会社に入った。

でもこれが、大きな間違いであったという事はいわずもがな。

会社では、理系の研修がしんどすぎて、嫌いすぎて本当に苦痛だった。

同期と比べて全然うまくできなくて、自己肯定感鬼下がった。

英語や海外に関係したお仕事がやりたい!と言っても「まずは基礎から」「まだ新入社員なんだから」と言われ、アメリカのvibesを一切感じられない日々が続いた。

上司にsexual harrassmentまがいのことをされたり、

目をつけられて厳しく注意されたり、、

私は褒められないと伸びないっつーーのに!!!( ;∀;)(自己紹介参照)

まさにストレス大盛りつゆだく地獄。

ある日から、肉体と脳味噌が全力で拒否反応を示すようになった。

画面の文字すら理解できなくなった時もあった。

あの電車内での「トゲトゲの視線」を毎日浴びている感覚で、息苦しかった。

入社前の春休みに、フランス・ドイツ・アメリカに留学したせいもあって日本cultureとのGAPが私を苦しめた。

留学中は、「わたしのすきなこと」を自由にやってのけまくっていたから、、

あ、観る?いやねほんとやりたい放題よ(笑)

これはフランス留学してた時に、博物館?的な所で撮った写真。いやーなっついわ、、

この時、一ヵ月ごとに髪色を緑→紫→赤→ピンクって変えてた。

社会人になったら、髪色暗くせんといけんし、もう最後の「はっちゃけ」で期間やと思ってたからね、、

毎日がエブリデイって感じで、服装のtitle考えるの楽しかったなぁ、、(毛根は死んだKEDO)

フランスでも、ツインテールしてたら授業前先生に

「セーラームーンみたいよ、Mio!! とtttttっても可愛いわ!」

って褒めてくれて、、この時ね。ああ懐かしい、、

これは、映画アメリに出てくるカフェのモデルになったお店!

 

これはエッフェル塔に登った時の一枚!

天候悪すぎてほぼぼやけてる。わろたにえんの関東風はるさめ〜

 

てかごめんねみんな、写真ばりゴリ加工してて本当はこんな顔じゃない(笑)

je suis désolé ( ;∀;)

 

フランスの後、私はロサンゼルスで、millenium dance complexっていう世界一有名なダンススタジオに留学した。

もうこれがね、、、本当に最高の最強のときめきの大爆発やった。

私の中の「ダンスレッスン」のimageがぶっ壊された。衝撃やった。

振り付け進むの早すぎるし、世界中からTOPレベルのダンサー達がレッスンを受けに来てて、皆うますぎるし(テイラースウィフト嬢のバックダンサーとかも同じレッスン受けてた)

とにかく、なんかもうパワー??パッションがすごくて、、

脳味噌と肉体をフル稼働させて、必死にくらいついた。

私は何年もロクに踊ってなくて、正直レッスンに全然ついていけなかった。

でも、めっっっっtttちゃ!!!!!楽しかった。

Jazz Funkっていう今までやったことないジャンルに出会えたし、なにより数年ぶりに「ダンスが楽しい!もっともっとうまくなりたい!!!」と思えた。

私の魂が全開で喜んでるのを、感じた。

私の大好きなKyle Hanagamiさん
(鬼ゴリ有名な売れっ子振付師さん。BLACKPINKはほぼこの人が振り付けてるよ!!)
のレッスンを受けた時は、泣きそうになった。

全然うまくもないし、褒められたワケでもないんやけど、、

彼のダンスを踊っている時は、ブルーな気持ちがすっ飛んで

「ああ、私、今、生きてる!!!!!」そう思えた。

ダンスだけじゃなくて、ロサンゼルスの宇宙も最高に心地よかった。

みんな私のファッションを褒めてくれたし、

好きな髪色、好きな髪形、好きな服を着て街に出てバスの運転手と談笑する、、

もうそれだけで、Happiest daysだった。

私の大好きな振付師さん、Miguel Zarate様とのレッスン後の一枚。

この人のレッスン受けるために、去年のゴルウィクにNY一人旅した(笑)

 

肉がつきすぎててちょっと見るの辛い、、でも、幸せそうな顔してらぁ、、

こんな感じで、日本ではできないような「私」を宇宙にさらけ出しまくった。

「ああ、やっぱ、アメリカが大好きや、、、一秒でも長くここにいたい、、なんかの手違いで日本行きのフライトキャンセルならんやろか(´;ω;`)」とさえ思った。

卒業式前日まで私はアメリカにいて、アメリカの残り香を纏ったまま、今の会社に入社した。

そして先述した通り、「私を受け入れてもらえない宇宙」で私は息が出来なくなった。

「ああ、私はなぜこんな仕事をしているんやろう、全然上手くいかんし、鬼つまらん、、1分が5729472時間に感じる、、、、つらい、、でも。」

「アメリカに行くためには、これしかないんや。我慢しろ、みお」

「アメリカで就職して、あの魂のきらめきを取り戻さなきゃ、、」

私は鬼の如く飽き性で、「やりたないことは死んでもやれへん」性格やのに

その性格を根性で塗りつぶした。

すべては、アメリカのため。

いつのまにか「アメリカ」という希望が、私の首を絞めるようになっていった。

 

アメリカの為とはいえ、つらいもんは鬼つらい。

「毎日わたしは何をしてるんだろう、、」とやりがいを全く感じない日々だった。

ある日、上司との面談ではっきりと言われた。

「あなたのやりたいことは、この部署ではできないよ」

今まで目を逸らしていた問題に、真正面からタックルされた気分だった。

そのあと自席に戻った時、私は涙が零れそうになった。

 

ああ、私なんで今ここにいるんだろう。なんでこんな意味のない、おもしろくないことしているんだろう。どこから、まちがったんだろう。

もう、こんな、しっぱいにんげんのわたしは、あめりか、いけないのかな?

世界に、自分が独りぼっちになったような、

孤独感と虚無感のカルボナーラみたいな気分だった。

生きる意味が分からなくなった私は、

また同じ過ちを繰り返した。

最速でアメリカに行くため、節約を兼ねてダイエットを始めた。

私はまた、大学時代と同じ糖質制限ダイエットを始めた。

(当時は摂食障害の自覚がなかったので、この方法が一番痩せられると思っていた。)

当時の私は61kg。  ぶ、ぶたちゃんにしか見えん、、、泣

一日800kcalぐらいしかカロリーを採らないようになって 野菜、サラダチキン、豆腐、コーヒー等が主食だった。  うさぎの如く、夜は絶対サラダしか食べなかった。

 

2カ月でたぶん5kgぐらい落としたんかな?

すると周りも変化に気付いて「痩せた?」「きれいになった」と褒めてくれるようになった。

「いやいや太ももマレーシアの電柱ぐらいあるから、、」

とか口ではいいつつも、内心バリゴリに喜んでいた。(笑)

自己肯定感、ギャン上がりFoo!!

「努力したら、痩せたら、その分だけ皆が褒めてくれる」

仕事にやりがいを見出せず、毎日がboringだった私はまた、体重計の数字を小さくすることに全精力を注いだ。

食事のルールはもっと厳しくなり、ご飯にお金を使う事はほぼなくなった。

半年間、ご飯、パン、麺などの糖質をロクに口にせず筋トレやダンスもやりはじめた。

流石に周りもおかしいと気づき始め「お昼サラダチキンだけ?」「糖質とったほうが良くない?」「痩せすぎじゃない?」いつしか、賞賛の言葉では無くなっていった。

私は周りから「私の努力を否定されている」ような気持ちになり、他人とご飯を食べなくなった。

脳に糖分が無い→エネルギーが出ない→常にイライラ→ストレス解消のために体重を減らす→振り出しに戻る

こんなかんじで最悪の拒食環状線レールが敷かれてしまった(笑)

 

いやもうマジ宇宙仰天ニュース。Who am I…?

私はみるみる痩せた。半年で15kgも減量した。

達成感は鬼の如くあったけど、それ以外はほぼ失った。

髪の毛は抜け羅生門状態、常に寒くて手が震えて、早歩きもしんどいし、

自分の予定を伝えるのに、声を出すことすらしんどい。

手に力が入らず、いつしかシャーペンで文字を書くことが出来なくなった。

トイレに行ってズボンを降ろすのですら、動悸がして職場でおむつを履いていたこともあった(笑)

言っとくけどおもらしは一回もしてないかんね!!??都甲先生に誓って!!!(笑)

精神的にも、私はおかしくなっていった。常に頭には食べ物のことばかり。

イライラして、宇宙の人間みんなが敵に見えた。元々negativeなのに、それが悪化して、相手の言葉全て否定的に受け取るようになった。

私の脳味噌ちゃんは完全にバグっていた。自分でもそれを感じつつも、認めるのが怖かった。

だって。今私から「痩せ」をとったら、何が残るのさ??

私にまとわりつく辛い現実から目を逸らすために、「痩せ」というかりそめの幸福に逃げた。

痩せれば痩せる程、アメリカに近づいているんだ。
しんどければしんどいほど、私は努力してるってことなんだ。
体重が増えるのは、私が努力してない証拠。

あ、今思い出した。都甲先生も前に授業で言ってたなぁ。

戦争や経済打撃などで人々が不安に陥るとアブナイ宗教が流行り出すって。その通りです。。。

自分に合わない仕事をしてる時の自分は大嫌いだった。

でも、アメリカの為に、死にかけになって努力している自分は、好きになれた。

不自然に浮き出たアバラを撫でながら、私のバグった脳味噌は、そんなことを考えていた。

でも、身体と精神は限界を迎えた。

 

~第伍章 見知らぬ、天井~

ある日、職場でフラフラになり、立ち上がれなくなった。病院に連れていかれた。

仕事場では、常に倒れないように、周りに心配されないように気を張ってたからかなー。

病院に着いた途端、全身に力が入らなくて眠すぎて、  担架で運ばれながら、いろいろと検査を受けた。

私は「わ~すげ~医龍(ドラマ)みたいだ~」とかのんきなことを考えていた(危機感ゼロ笑)

あ、印象的やったんは血液検査かな。

血管が薄すぎて、採血用の針が刺さらず看護師さん2人ががりで、30分ぐらい?かけて採血してたんやけど、ベッドに横たわっていた私は、紙がこすれるぐらいのか細い声で聞いた。

「あのー、、、ちなみに何mlぐらい採ってます?」

「うーーん、大さじ二杯くらいかな、、」

「えっ!!??大さじ二杯!!???」

いやもうほんと、看護師さんたちには感謝しかないよね、、マジGrazie、、

その後、お医者さんに色々質問されて、  「きみは拒食症だから専門のお医者さんに診てもらって」

Like thatなことを言われたと思うけど疲れすぎて、半分寝てたから何を言われたか、何を言ったかあんま覚えてないや、、

この時期常に頭がぼ~~っとモヤがかってたけ、あんま記憶ないんよね(笑)

申し訳ねぇ、、、

血糖値がありえん低かったらしいので、糖の点滴をぶち込まれ、この日は解散。  (でもめっちゃ抵抗した記憶ある(笑))

正直、この時点では自分が「拒食症」だと信じてなかった。

だって、韓国アイドルとかモデルのほうがもっと細くて体重軽いし、そもそも、私3食ちゃんと食べてるから、「拒食」やないし。。

あの医者ヤブだな。うん。とか思っていた(本当に申し訳ございませんきつく叱っておきます)

というか賞味、自分が生きたいのかすらも分からなかった。

アメリカにも行けない、やりがいもない、ハゲた骸骨のような見た目、、

かつてみんなが褒めてくれた、きれいな私からはかけ離れていた。

アメリカに行けない私なんて、日本にこのままいるくらいなら、死んだ方がいっそ楽になれるんじゃない?

とか考える時もあった。  視野が超狭くなって、鬼如認知が歪みに歪んだ。

当時、自分の状況を誰かに話すのも恥ずかしくて、でも自分では治せなくて

私はどうしていいか分からなくなって、

お忙しいことは重々承知しつつも、都甲先生におメールをさせていただいた。

返信こないかもな、、来なかったらどうしよう、、

ああやっぱしなければよかったかな、ただの卒業生の分際で、おこがましいにも程があった、、

 

/第六章 命のキャッチアンドリリース/

とかなんとか思っていたら、返信がすぐきた。

私は都甲先生に贈るたった一通のメールの文章に20日くらいかけて、推敲したというのに。(笑)

そこには、こんなことが書いてあった。

「貴方には才能があります。死んでほしくありません。」

びっくりした。都甲先生が、こんな虫けらのことをそんな風に思っていただけ申していたなんて。

私はトイレで号泣した。

ああ、私生きててもいいんだ、と思えた。

都甲先生に、また命を救ってもらった。(一回目についてはnoteみてね)

「とにかく、周りの人に言って、病院に行って助けてもらいましょう。」

はい、先生。そうします。そうさせていただきます。

頑固な私だが、都甲先生の言う事だけはなぜか素直に聞けた。

そして精神科の病院の予約をとって、行くことに。

「このままだと命が危ないので、すぐ入院して下さい。」

「ただ、ここは身体科が無くて万が一生命に危険があった時に処置できないから、今から紹介する病院に行ってください。」

え、また違う病院行くんかい、、っていや、え、待って???入院?死ぬ?

いやいやまさか。(笑) 仕事明日もあるし(笑)

え、、、、えっ???

急に色々言われすぎて、至極当然パニック。

ようやくこの辺りで、「あれ?もしかして私、、けっこうヤバい?」と自覚し始める。

そして、紹介された病院の精神科に行った。その時も、全然ご飯は食べられなくてフラフラだった。

診察室にはいると、そこには新玉ねぎみたいなおじさんがいた。

「さて、、、、何から話そうかなぁ」

せんせーは、前の病院の紹介状を眺めながら言った。

「、、、、今、どうしたい?」

せんせーと目があった。

私は、しばらく声をだせず

「、、、、、わからない、、、、、、、」

声を出した瞬間、涙がぼろぼろと零れ落ちた。

「、、、うっ、、しっ、、しにたい、、、、、、」

病院に来てる人間の言葉じゃないっしょ。(笑)とか自分で突っ込みつつも、一番最初の私の願いは、これだった。

「そうか、、、正直に言うと、君、本当に死ぬよ?」

せんせーはまゆげを下げて、困ったような笑顔で言った。

ワオ。望み速攻叶いますやん。Congratulations…(言うとる場合では無い)

「あのね、脈拍が35しかないの。不整脈になって、いつ心臓止まってもおかしくないんだよ。一日中ベッドで安静にしてもらわないとダメな状態なの。」

「肝臓の数値も悪くて、お薬をだしてあげたいけど、君の肝臓じゃ耐えられない。」

「胃も、普通の人の三分の一まで機能が落ちてる。」

「診断書書くから、休業してください。」

休業。

それは絶対にやりたくなかった。

「死ぬよ?」と言われた時よりも、ショックだった。

ここまでたどり着いたみんなも知ってるように、今の仕事は嫌よ。153729臆%

でも、仕事を休むなんて、そんな、「フツウノヒト」ができてることをできなくなるのは、、もっと嫌だった。

ああ、私は努力が足りなかった。人間の落ちこぼれだ、、、

こうしてまた、私はまたひとつ、私を嫌いになった。

「やだ、、、やだぁあああ、、、やだああああああ泣泣」

私は子供みたいに泣き喚いた。頭を支える首の筋肉も無くて、ずっと俯いたままだった。

「あのねぇ、話聞いてた?笑 こんな状態で仕事なんて行かせられません。」

「通勤途中で倒れて死ぬよ?」

「死んでもいい。もう日本にいるくらいなら、、死んでもいい。アメリカ行きたい。アメリカ行ったら治るもん。せんせー、アメリカ行かして、、」

「え、どういうこと!?急にアメリカ!!???」

完全に私は壊れ、知能指数2みたいなレベルの会話をしてた。

いやぁ我ながら酷い(笑)

「アメリカ、、いきたいよぉ、、、アメリカ、、うっ、、、泣」

その時の私は妖怪アメリカ泣き小僧の如くに、

「アメリカ」と繰り返し叫んだ。

たぶんそれは-

「ここから逃げたい」

の、私なりの健全なparaphraseだったのだろう。

だって、それしかなかったんやもん。

アメリカしか、私に残された希望は無いと思っていた。

でも、それもはるか遠くに消えてしまった。そんな気がして。もう、死んでしまいたかったのだと。

たぶん。ワオ、超自己分析してる。今。(笑) リアルタイム。

最初は、会社に診断書を提出しないでおこうかと思ったけど(よいこの摂食のみんなは真似しないように!)

結局、私は休業することになった。

 

~第七章 治療という地獄のはじまり~

治療を始めた最初は本当に色々あった、、ありすぎて思い出すのも疲れる(笑)(また詳しくnoteに書くつもりです!)

都甲先生が「周りにshareしなさい」と言っていたのを信じて私はSNSで自分が摂食障害であることをopenにした。

そうしたら、世界中の友達からメッセージが届いた。

中には、新幹線でわざわざ家まで会いに来てくれる子もいた。

「死なないで」「またアメリカで踊ろうよ」「夢が叶うように応援してる」

びっくりした。

それまで私は、「お前なんてこの世にいないほうがいい」と言い聞かせていたから、みんなのおかげで、まるで、自分が、この世にいても良い物体のように感じれた。(都甲先生ってやっぱりすごい、、)

「治したい自分」と「痩せにしがみつきたい自分」

との葛藤で、多重人格みたいになって頭がおかしくなりそうだった。

幼児退行して、哺乳瓶で粉ミルクを飲んだり(実話)

「食べたいもの」が分からなくて、カビやドックフードを食べたり(実話)

アメリカに行きたいという気持ちが強迫的になって、アメリカや海外料理しか食べなくなった時期もあったし、過食衝動が起きて、家にあるお菓子を全部平らげて、罪悪感で一日中泣いてる日もあった。

もうほんとに、ローラーコースター。あがったり下がったり、止まったり、、

 

~第八章 現在(いま)とこれから~

でもでも!

宇宙のみんなに支えられながら、なんとか生き延びています。

ゴキブリのお腹にビーズをつめる内職に就くよりも嫌だった糖質も朝と昼ならとれるようになりました。

最近は過食衝動もないです。(いつ来るかわからない恐怖は常にあるけど)

脈拍も肝臓の数値も良くなったし、糖質ってやっぱすごいわ。力とはパワーですな、、

実は復職期限があって、もうすぐ復職する予定にはなっています。

でも、、

摂食の原因になった職場と仕事に戻るのは、やっぱりうん、、気が乗らないし、とっても不安で、、

それに、周りのSupportがあってやっとなんとか食べられている状態なのにひとりで治療していけるのだろうか、、と難儀しております。ええ。

今はもう「痩せたい」「体重減らしたい」という拒食脳はあんまり無いんやけど、、

無いからこそ、食べる量が中々増やせなくて、難儀中です。

(43㎏まで増やしなさいと言われているけど、40㎏ぐらいをうろちょろりんしてます)

体力も、どん底の時よりはましになったけど、こないだお風呂で気絶して、右腕を負傷してしまったり、夜になると息が詰まったり、夜も全然眠れず、、

あれ、これ改善してるんか?(笑)

まぁそう簡単にはね、、治らないですね、、

最近思うのは、なんかもう摂食は「治す」というより「上手く飼いならす」

と考えたほうがいいんちゃうかなーーって。

だって多分、うちら摂食って、人生の不安、イライラ、悲しみとか、SOSが「摂食」になって現れてるんやと思うんね。

それは、例えばほかのみんなが運動、タバコ、カラオケ、お酒、爆買い、ギャンブルで憂さ晴らしするのと同じように。

そのはけ口を完全に取り除くなんて、、、だいぶ無理あるくね??(笑)

と、みおえなじーはかく語りきでして。

もちろん諦めたワケやないよ!!アメリカでダンスする夢叶えたいけんね。

でも、「治さな」って思うとまた追い詰めてしまいそうやから摂食の自分も、耳とか、ほくろとかと同じで「自分の一部」なんやけ、付き合い方を考えた方がいいかなって。

再発とかも全然余裕のよしこママやん?摂食ってさー。(私もそう)

やけ、「完全に治った!」と思っても、何年後にまた過食したらめっちゃつらくね????私はつらい。

言うなれば、手のかかる地獄の番犬ケルベロスちゃんを、手のひらでうま~く操って、

どうやってバディとしてうまく飼いならしていくか、、という話。

あ、全然わかんない?(笑)

四捨五入して摂食治ったっぽい~ウケる~~ぐらいのテンションでいけたらいーなーみたいな。

はい、自分に糖度高め(笑)

 

そんでそんで、絶対私夢叶えるからね!!!

自分の夢も叶えるし、みんなのことだって元気づけたいし、こっから鬼巻き返して、宇宙一の人生make itして、エッセイ本出して都甲先生に帯書いてもらってバズるまで死ねへんからね!!!!!わっはっは!!!!!

夢は大きくね。なんたってうちらは世界で宇宙一なんよ。

あ、そうそう摂食障害って自分に厳しい人やないとならんらしいで?

そんなに厳しいうちらなら、なんでもできるよ、きっと。

知らんけど多分絶対absolutely★

 

はいっっっ!!!!!体験談!!でした!!!!!

こんな終わり方(笑)

うむ。まごうことなき体験談。みんなおつかれ~~私もおつかれ~首ちぎれそう大臣、、

 

ここまで読んでくれたみんなは偉すぎるから、

電気カーペットの上に麺つゆこぼしても私が許すよ!!!!

ああ寂しいわ、たった2万字でみんなとお別れなんて、、

そんなみんなに朗報!!私の主な生息地をダイレクト宣伝しますので、是非是非みんなおじゃましに来ておくれ(^^)/

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・都甲先生、大学時代に拒食症になった時のことを書いたりしてる4(よん)

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気軽に動物園来る感じでみんな見に来て~~!!

フォローも狂おしいほど大!歓!!迎!!!

してくれたら視聴者プレゼントで電気カーペットあげちゃおうかな!??

あ、いらない??そう、、

じゃ、最後にいつものやついっくよーーー

みんなが世界で、宇宙一~~~~~!!

You are the universal best in this world!

I love you all, thanks, bye!!

 

Mioenergy💖

~あなたも体験談を掲載しませんか?~