摂食障害と生きるこれからの私
私は浪人して芸術大学に入学しました。浪人時代のストレスにより、高校の頃から10kg太り、当時の私はかなりぽっちゃりしていました。
元々いじられやすい性格だったため、周りからは体型のことでいじられ、次第にぽっちゃりしていることがコンプレックスになっていきました。
しかし、特にダイエットはせず、好きな物を好きなだけ美味しく食べていました。
大学に入ってから、私は演劇を始めました。そこでも、ぽっちゃりしていることをいじられました。「デブ豚」などと言われて悔しかったのを覚えています。
なんとなく痩せたいという感情がわき出てきた矢先、元々持っていた痔が悪化して手術をすることになりました。
手術後、排泄が困難になることが予想されたため、スープやジュースなどで過ごしました。
その結果、1週間くらいで3kgスルスルと落ちました。食べなければ痩せると実感した私はぽっちゃりしていたコンプレックスを克服するため、これを機にダイエットをすることにしました。
ダイエット中は、制限拒食でした。徹底的に糖質制限し、野菜を大量に食べていました。
また、大学の課題と演劇の稽古で多忙だったにもかかわらず、1時間のランニングを欠かすことなく行っていたのは、今思えば過活動だったなと思います。
そんなこんなで無茶をし続けた結果18kgくらい痩せ、生理も止まり、髪は薄くなり、肌はボロボロになりました。そんな状態になっても、体重と言う名の数値にこだわり続けました。
また、私は精神的にも異常をきたし、抑うつ状態になりました。急激に痩せたため、精神面に影響が及んだのだと思います。
このころは大学3年生で就活間近。私は、この状態では就活が無理だと判断し大学を休学することになります。
休学中、相変わらず私は制限拒食と過活動が続いていました。100g単位での体重増減に一喜一憂する毎日でした。
そんな最中、年明けから就職活動が始まりました。けっこう大手のインターンシップに受かり、2月から参加することになったのです。
そのため、東京に滞在するため2週間のホテル暮らしをしました。
インターンシップでは周りの学生がものすごく優秀で、それにより大きな劣等感を抱えストレスに繋がりました。
そのストレスが「食べたい欲」となったのです。
深夜のコンビニに走り菓子パンとお菓子を買って、無我夢中で食べました。
食べ終わってから「こんなに食べたら太ってしまう、どうしよう」と思いパニックになりました。その時、「あ、吐けばいいんだ」と閃き、ホテルのトイレで必死に嘔吐しました。これが、過食嘔吐が始まったきっかけです。
それからは食べる・吐くの繰り返しの毎日です。1日中、家に籠って過食嘔吐するときもあります。
過食嘔吐さえなければもっと貯金がたまるのに、もっと時間が有意義に使えるのに、と苦しみ自暴自棄になった時もありました。
また、普通に食べている人が自分より痩せていると、吐いているのに痩せない自分が悔しくて、それが過食衝動に繋がりました。
最初は、「食べたいけど太りたくないから吐く」という動機で過食嘔吐をしていましたが、いつの日からか、ストレス発散のために過食嘔吐をするようになりました。
今は過食嘔吐をするときはストレスが溜まっているときだと認識し、「やっちゃってもしょうがないね」と思えるようになりました。
以前は、過食嘔吐を止めることに必死でストレスを溜め、また過食嘔吐するという悪循環を辿っていました。
しかし、過食嘔吐は自分の心のサインだと気づいたとき、無理してやめなくていいのでは、と気づいたため心が楽になりました。
私はこれからも、過食嘔吐と細く長く付き合っていくと思います。
話は変わりますが、2019年の年末、私は双極性障害と診断されました。躁と鬱を繰り返す慢性疾患です。
元々生きづらさを感じていたので、この疾患の診断が下ったときは「やっぱり…。」と納得しました。
摂食障害は何かしらの精神疾患と合併しやすく、私も双極性障害からの合併症で摂食障害になったのではないかと、今になって思います。
鬱状態のときは落ち込みから自宅に引きこもって何度も過食嘔吐する、躁状態のときはテンションの高さから過食嘔吐してしまうのだと、振り返ってみて気づきました。
つまり、躁でも鬱でも過食嘔吐は症状として出現してしまうのです。そして、躁状態に過食嘔吐をした罪悪感から鬱になり、過食嘔吐を繰り返す負のスパイラルに陥っていました。
双極性障害は治療法が確立されている疾患のため、服薬をしっかりすれば、気分の波を落ち着かせることができます。
現在、服薬を続け、気分の波が少なくなったおかげで過食嘔吐の頻度はグンっと減りました。
私のように摂食障害の裏側に疾患が隠れている可能性もあるため、もし生きづらさや自分の中で違和感を感じたら、病院を受診するのも1つの手だと思います。
精神科を受診するのは勇気のいることですが、生きづらさを抱えている誰かが少しでも生きやすくなって欲しいと考え、このことを伝えようと思いました。
過食嘔吐は私から奪った物は沢山ありますが、逆に与えてくれたものもあります。それは、「看護師になる」という目標です。
自分がそうであるように、病気と共存して生きなければいけない人は沢山います。私は闘病という経験により、患者さんが日常生活を営む上での問題解決がしたいと思うようになりました。
こう思えるようになったのは、過食嘔吐と出会わなければなかったことです。
現在は、吐いたり吐かなかったりしながら、なんとか看護学生生活を送っています。時間がないので、以前より過食嘔吐の頻度は減りました。
看護師として経験を積んで、未だ理解が少ない摂食障害で苦しむ方々に、いつか看護の側面から力になりたいと思っています。
この体験談を書いた人
Twitter → @kawapyong